[読書]職業としての誘惑家

2016年のよく晴れた日の夜に「誘惑家」について考えてみる。

僕は村上春樹が特別に好きなわけではなく、読んだ著書といえば「ノルウェイの森」と「1Q84」くらいだし、その内容もちゃんと覚えていない。

だが、2015年のよく晴れた日の午後にある本が平積みになっていたのを見つけた瞬間、何故かその本を手にしている自分があった。

感想としては、思ったより興味深い内容である。

この本は、村上春樹氏が「小説家」としての自身の生き方を綴ったものだが、ある意味「PUA<誘惑家>」の振る舞いについて通ずるところがあると思う。

むしろ、ピックアップ活動に対する考え方そのものではないかと思える箇所がいくつかあった。以下、簡単にまとめておく。



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「PUA<誘惑家>」はある種の魚と同じであり、水中で常に前に向かって移動していなければ、死んでしまう。

小説家にとって「落ち着く場所にすんなり落ち着く」というのは、率直に言わせていただければ、「創造力が減退する」のとほとんど同義なのです。小説家はある種の魚と同じです。水中で常に前に向かって移動していなければ、死んでしまいます。

そもそも「誘惑」に目覚めるのは、ある種の「直感的な真実把握」。

英語にエピファニー(epiphany)という言葉があります。日本語に訳せば「本質の突然の顕現」「直観的な真実把握」というむずかしいことになります。平たく言えば、「ある日突然何かが目の前にさっと現れて、それによってものごとの様相が一変してしまう」というような感じです。それがまさに、その日の午後に、僕の身に起こったことでした。それを境に僕の人生の様相はがらりと変わってしまったのです。デイブ・ヒルトンがトップ・バッターとして、神宮球場で美しく鋭い二塁打を打ったその瞬間に。

「誘惑」をしているとき、「口説いている」というよりはむしろ「音楽を演奏している」というのに近い感覚がある。頭よりはむしろ体感で「誘惑」をするということ。

小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりはむしろ「音楽を演奏している」というのに近い感覚がありました。…それは要するに、頭で文章を書くよりはむしろ体感で文章を書くということなのかもしれません。リズムを確保し、素敵な和音を見つけ、即興演奏の力を信じること。

自分が目にする事物や事象(フィールドや相手の動作)を、とにかく観察する習慣をつけること。大事なのは明瞭な結論を出すことではなく、ものごとのありようを、素材=マテリアルとして、現状に近い形で頭に留めておくこと。

自分が目にする事物や事象を、とにかく子細に観察する習慣をつけること…。まわりにいる人々や、周囲で起こるいろんなものごとを何はともあれ丁寧に、注意深く観察する。そしてそれについてあれこれ考えをめぐらせる。しかし「考えをめぐらせる」といっても、ものごとの是非や価値について早急に判断を下す必要はありません。結論みたいなものはできるだけ留保し、先送りするように心がけます。大事なのは明瞭な結論を出すことではなく、そのものごとのありようを、素材=マテリアルとして、なるたけ現状に近い形で頭にありありと留めておくことです。

「PUA<誘惑家>」というのは、自由人であるべき。

 小説家というのは、芸術家である前に、自由人であるべきです。好きなことを、好きなときに、好きなようにやること、それが僕にとっての自由人の定義です。

 「誘惑」の基本は物語を語ること。物語を語るというのは、自分の意識の下部に下っていくこと。

 小説家の基本は物語を語ることです。そして物語を語るというのは、言い換えれば、意識の下部に自ら下っていくことです。心の闇の底に下降していくことです。大きな物語を語ろうとすればするほど、作家はより深いところに降りて行かなくてはなりません。

 「誘惑」は心の強さを持ち続けることが必要である。それは訓練によって後天的に獲得できる。

小説を書くという作業に関して言えば、僕は一日に五時間ばかり、机に向かってかなり強い心を抱き続けることができます。その心の強さは―後天的に獲得されたものです。僕は意図的に訓練することによって、それを身につけることができたのです。

あらゆる現実的な障害に遭遇しながらも、なんととしてでも「誘惑」を続ける意志の固さが必要である。

 迷いをくぐり抜けたり、厳しい批判を浴びたり、親しい人に裏切られたり、思いもかけない失敗をしたり、あるときには自信を失ったり、あるときには自信を持ちすぎてしくじったり、とにかくありとあらゆる現実的な障害に遭遇しながらも、それでもなんとしても小説というものを書き続けようとする意志の堅固さです。そしてその強固な意志を長期間にわたって持続させていこうとすれば、どうしても生き方そのもののクオリティーが問題になってきます。まず十全に生きること。

現実には、職業人としての「PUA<誘惑家>」はほぼいないだろうが、精神性としては趣味としての「誘惑」であっても変わるところはないと思う。

職業としての小説家 (新潮文庫)

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