2016、年末に感じること

年末年始ということで、ポエムでも書いてみようと思います。

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年末年始に感じること

私が、年末年始にいつも感じるのは「哀愁」です。
私は、年末に限らず月1くらいで人生の所有物を見直すことにしていますが、大きなシャッフルが起きやすいのは、この時期です。

所有物は、有体物に限らず無体物も入ります。ここで想起する具体的な例としては「人的なつながり」です。

人的なつながりを再構成するのは正直つらいのですが、互いのためにも、ときには距離を取ることは必要と考えています。

無理をしながら付き合い続けると互いにとって不幸です。男女の仲はとっくにないのに離婚できない夫婦みたいなものかもしれません。

人間関係の整理は年末に限ったものではないのですが、必然的に色々な人に合う年末年始は、特に考えさせられることが多いです。

もちろん、つながりの再構成と言っても連絡先をブロックするとかはしません。そっと、距離を置いて自然にあまり会わないようにするくらいですね。

自分が無理をしていると感じたときには、大抵相手も無理をしています。

成長曲線の傾きの違いがある、共有価値が違ってきた、こういう状態になると、昔は同じ立場で共感し合えた人でも現時点では共感し合えないこともあるかと思います。

かくいう私は2016年はこれまで会ったことがないような方とも会うことができ、学びは多かったと思います。緩やかになった自分の成長曲線の傾きが再び輝きを取り戻したように思えました。

一方で、性急に活動しすぎた面もあり、それにより他のことに影響が出すぎました。結果として、後半は生活のリバランスに注力することになり、緩急が非常に厳しい年になりました。

生活をリバランスしつつ、ふと振り返ってみると周囲と価値観がずれてきた面を感じずにはいられません。

習慣の恐怖

「習慣」というものは非常に怖いものです。なぜならば、そこに貴方の「意思」が介在していないのにも関わらず、何らかの行動や思考が自然に行われてしまうからです。

つまり、「無意識」に行動したり思考してしまっているのです。

年末年始になりますと、友人の嘆きを聞くことが多いのですが、こうした嘆きはほとんどが習慣のように言うフレーズになっています。

「給料上がらないかな」

「アラサーだし結婚しないとな」

こうした「状況」については、自分も友人も大差はありません。
ただ、「状況」そのものではなく、「状況」を「認識」する仕方に差異が出てくるようになっているのです。

不満を言う人のほとんどは、その不満を解決できない所与のものとして捉えており、単に共感を得ることにより苦痛から解放されることを望んでいるのです。

そして、「今年も去年と同じようにみんなで飲めてよかった」とか言い出すわけです。同調圧力の中で、意図的に思考停止状態になるのはとても楽なのです。

一方、私は、解決できないことを前提に思考することはしないようにしています。

このような、周囲と自分の意識の差異が生じることは、実はかなり頻繁に起こっていると思います。おそらく時間や環境の変化とともに、徐々に差異が生まれているのですが、その差異を改めて認識するのが年末になることが多いように思います。

そういうときは、角が立たないようにはしつつも、やはり他者との関係性を再構成した方がいいと思います。

暴力装置なき関係性の終焉

仰々しい言い方ですが、すべての関係性は、その構成員をつなぎとめるに、構成員の間を媒介する何らかの要素が必要です。

国家の中の構成員を例に考えてみます。国家が国家として成り立つのは、その国家としての正当性が認められているからであり、つまりは、国家としての権威があるということです。

権威性を担保するための要素は色々ありますが、一つに重要なのは暴力装置があるか否かです。

つまり、一方的に、構成員を従わせる力のことです。簡単な例ですと、警察とか自衛隊を想起すればいいかもしれません。

つながりを強く保持せざるを得ない関係性になればなるほど、その関係性には暴力的な力が介在すると考えられます。

逆に言うと、暴力的な力があると、無理に関係性を維持することは比較的に容易です。国家以外の例ですと、結婚の契約も近いかもしれません。ある程度の強制力や拘束力をもって、結婚という関係性の中の構成員をつなぎとめる装置になっているわけです。

しかし、通常の友人関係や恋愛関係など、私的な社会的つながりは、暴力的な力によって担保されたわけではなく、成り立ちの容易さからして、常に関係性の終焉にさらされているものです。

終焉は、内発的な要因で構成員の中から出るきっかけがもとになるかもしれませんし、外発的な力が加わるものかもしれませんが、いずれにしても、暴力装置がない関係性は無理に統括できません。

もしその関係性を崩さないようにしたいなら、平等、譲歩、分配など、構成員間の関係性を調整する仕組みを内在的に担保することが必要だったりするわけです。

そうでない完全なる水平的な関係性は基本的にはその成立からして脆弱な基盤なので、環境の変化とともに、関係性が変わるのは当然のことに思えます。

嫌われる勇気

つながりを見直すためには、嫌われる勇気が必要です。

一般的な傾向と違っていても、自分が正しいと思えることであれば、自信を持って前に進めなくてはなりません

正直に言って、これは結構つらいです。自分は成長していると思えても、周囲から批判・嘲笑・嫉妬を受けるくらいは我慢しなければなりません。

周囲から受ける同調圧力は相当にきついです。今までも同調圧力にさらされていたことは多々ありますが、これまでは、新たに足を踏み入れた世界、つまり新たに関係性を創った世界に共通的な価値観があり、その中で同調することが可能だったことが多いように思えます。

例えば、ナンパや恋愛工学を見て、非モテとモテの対立項を感じたときはその典型例です。非モテとモテの対立項は二元論的な考え方で、非モテの世界からモテの世界にパラダイムを変えようとするときは、今までいた「非モテ」の世界からはとてつもない同調圧力にさらされますが、一方では、新たに見た「モテ」という価値観の世界では、共通価値があり、ある種の同調圧力が働くので、精神的苦難はさほど生じていないのです。

しかし、今年は、一周して二項対立の世界から脱却したように思います。今は単純に寄り添うような普遍的な価値は持っていない状態なので、常にどこかからの同調圧力にさらされながらも独立性を維持しないといけない状態です。
これは私だけではなくてみなさんも感じているかもしれません。ここで重要なのは、人間的な強さだと思います。

人間的な強さをもって孤高の独立性をどこまで維持できるかということにさらされているわけです。

戦略的に「属さない」世界を選んだ結果は、都度思考しながら判断することになります。
ある意味では、合わせなくていいから楽なのですが、拠り所がないという意味ではなかなかの苦労を伴います。

以上です。まとまりがなく、さらに何か暗い記事になってしまいましたが、2017年も自分のあるべき姿を試行錯誤しながら走りぬきたいと思っています!

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