パタヤへと向かう道、7月の終わりのある雨の日。 ~パタヤカオスツアー第壱話~

雨が降っていた。僕たちがそこに着いたとき、雨が降っていた。

雨に包まれたパタヤの街は異国から来た旅人を歓迎しているようには見えなかった。

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前書き 

最初に書いておく。これはパタヤカオスツアーに参加した僕自身の記録である。僕自身が見て、僕自身が感じたことを綴っている。つまり、この旅の見方は人それぞれであって、僕が見た景色と他の人が見た景色、そこから見出した感覚は人によって明らかに違うということだ。既にシンジさんとクラトロさんのツアー記が配信されているが、僕はまだそれをちゃんと読んでいない。読むことによって、僕自身が感じ取ったものは確実に何らかの影響を受けるだろう。だからあえて、両名のツアー記は読まずに(正確に言うと概略は目を通したが)、自身の記録を書くことにする。ただ、起こった事実は同じなので、事実としての矛盾はおそらくはない。もしそれがあるとすれば、単純に僕の記憶のミスである。それから、僕は両名と共有していない時間が多くあった。つまり独自に行動していた時間が多かったということである。そういう意味で、この記録は本当に同じ旅の記録なのかと思うかもしれないが、同じ場所にいてもそれぞれが経験した事実には差があり、またその事実の解釈には明らかに差がある。

そして、何故この記録を書くのに、これほど時間がかかったということだが、単純に忙しかったせいもあるが、自分の経験を言語化して消化するのに大変な時間を要したということが一番の理由である。事実としての記録はかなり前から草稿として書いてあったが、それは事実の列記であって、何かしらの物語ではない。僕は自分の物語を感情に忠実に書く必要があると思ったので、物語が消化され熟成され、それについての解釈を付け加えるまでに多くの時間を要したのだ。しかし、物語は書かれることによって始めて過去になる。僕は、前に進み続けるために、そろそろこのパタヤカオスツアーを物語として、過去に置き去り、終止符を打つ必要があった。

酔狂を求めて日本をたつ

朝の成田空港はそれなりに活気があった。みな日常を忘れて異国に穢れを落としに行くのだろうか、それとも何かを探し求めて異国へ向かうのだろうか。はたしてそれは全く分からなかったが、とくにもかくにも、朝の成田空港の熱気はそれなりにあった。

メインカウンターの機械的に整った空間から少し離れたところにエアアジアのカウンターがあった。そこは明らかに差別され他の航空会社のカウンターからは隔離されていた。いわゆる格安航空、カウンターも格安で使うためにはそういう待遇になるのであろう。僕は格安航空に乗る自分が格安に値踏みされているように見られないか、おそらく過剰過ぎる感情を僅かばかり有していた。格安航空は決してそんなことはない、むしろ太宗の人はそんなことをいちいち考えていないと思うが、世の中全体を見ると、内面を見ずに外面で値踏みをする人たちは多い。内面なんてはっきり分からないし、すぐに判断できないから外面で判断するのは分かる。ただ、僕はそのような行為にとても違和感を感じていた。そして、後に出会うことになる所謂誘惑の達人は内面を見抜けるような眼を持っていたと思う。観察眼が優れていた。それは眼なのか、それとも眼以外の五感、或いはシックスセンスのような第六感なのかはよく分からなかったが、いずれにしても、後になって分かることだが、僕は今までにこれ程までに物事を観察している人を見たことがなかったと思う。

今回の旅では珍しくスーツケースを持ってきていた。普段の旅ではスーツケースは持っていかない。そもそも僕はスーツケースなど持っていなかったのだ。個人的な旅ではそれでもいいかもしれないが、出張の際にスーツケースを持っていないのはさすがに困る。僕はその度に同僚からスーツケースを借りていた。

今回の旅では様々なピーコックグッズを持参しようと思っていた。カオスを起こすために、道具を使う。今思えばそれはとても安易な考えだったが、後で振り返っても、道具の効果は絶大だった。そんな風にいろいろと道具を準備していたら、どうやらいつもの鞄では全く入らないことに気づいた。前日の深夜という相変わらず直前に準備をしていた僕はさてどうしたものかと思いながら、一杯の珈琲を飲みながら思案した。周りを見ると、そこには珈琲が入れられた箱があった。その箱の中には色々と食糧が入っている。しかし、よく見るとそれは単なる箱ではなく、紛れもないスーツケースだったのである。僕は、数年前に買ったそのスーツケースを旅の共に一度も連れて行くことなく、食糧倉庫として使っていたのだった。それがスーツケースであることをほとんど認識していなかった僕は、その存在意義を見出し、それを引っ張り出した。僕はそいつを旅の共にして、成田国際空港に意気揚々と成田空港に向かったのだった。

エアアジアは格安航空である。格安航空は通常は機内預け入れ荷物は有料だ。普段は全て手荷物で行くのでそんなことは全く気にしていなかったが、今回のこの共は手荷物ではなかった。エアアジアにチェックインするとき、僕は何の気になしにさも当然かのように、手荷物としてそれを持っていこうと思ったが、係官に止められた。彼はたどたどしい日本語で「荷物の大きさを測る必要がある」というようなことを言った。僕は少しくらい大目に見てもらえるだろうと思ってタカをくくっていたが、係官はそうはいくまいという姿勢だった。僅か数センチばかりはみ出したそのスーツケースは係官の目をすり抜けることはなく、見事に金を取られることになった。数千円取られたであろうか、普段から現金をあまり所持していない僕にとっては少し手痛い出費だった。こうして出発早々に「手荷物グダ」を食らってしまった僕は少し面食らってしまったが、ささやかながらこれもまたカオスの一種なのかもしれないと思うと気分は悪くなかった。

同じ便にはクラトロさんも搭乗予定だった。クラトロさんとカフェで落ち合う連絡をするも、手荷物グダやら何やらで僕の出発はだいぶギリギリになってしまった。そもそも割とギリギリにしか空港に行かないので、こういう事態はよく起こる。僕はクラトロさんに迷惑をかけて申し訳ないとほんの少しだけ思いながら、急ぎ足で搭乗口に向かった。

成田空港を浴衣で猛然と走るその怪しい男は、搭乗までただの一度も突っ込まれることなく、ゲートまで辿り着いた。その怪しい男が搭乗口に辿り着いたとき、今まさに飛行機に乗らんとする、一端のオーラを放っていた、時代を旋風した五郎丸のような威風堂々とした男がそこにいた。その怪しい男と五郎丸は眼が合った瞬間にお互いを認識した。こうして、酔狂なカオスへの旅が始まったのであった。

http://www.flickr.com/photos/50398299@N08/15821865153

photo by Fæ

カオスとは一体何なのだろうか。この旅はカオスツアーを銘打っていた。パタヤでカオス。そもそも何故パタヤなのか。僕の印象ではパタヤは完全なる風俗リゾートだった。そこでどのようなカオスが巻き起こるのか。僕は何ら具体的なイメージを持たずに旅に出たのであった。思い返せば、今までの旅でも何か具体的なイメージを持って出発した旅はあったのだろうか。それはあまりなかった。何気なしに心行くままに旅をする。それが僕の旅であった。

カオスを求めた夏、僕は何故カオスを求めたのか。それは出発前にも書いたが、日常の倦怠感から逃れるため、そして、自分を巡る環境の変化から新しい世界を見るためであった。そうした漠としたイメージは持ちながら、はっきりとして捉えられないカオスという概念を求めて異国の地パタヤに行った夏が今回の物語である。

機内では、偶然にして、クラトロさんと席が近かった。彼はやはり精悍な顔つきをしていて、爽やかな好青年のように見えた。

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エアアジア便は順調に日本を出発した。深夜特急で沢木が乗った格安のおんぼろインド航空のように、座席ががたがたと揺れ、エンジンが悲鳴を上げているような飛行機ではなく、フライトはそれなりに快適であった。すこぶる快適かというと、格安航空ゆえに機内食はないし、それはかなり怪しかったが、不便はしない程度ではあった。

飛行機の中では時間があったので、改めてカオスとは何か、そして今回の真の自分の目的は何か思いを巡らせたが、相変わらず明確な解は出てこなかった。僕は兎に角、酔狂な経験ができればそれでよかったのだった。

機内では、もう一つやることがあった。パタヤカオスパーティーのフライヤー作りである。7月の最後、タイは仏教の行事か何かで全土的に禁酒日であった。そういう側面も踏まえて、禁酒日は皆が泊まっているヴィラでパーティーをすることでカオスを巻き起こそうという計画だったのだろう。シンジさんが作成したフライヤーを僕が少し手を入れたものを大量に印刷してきていた。大量に印刷したが、それを切る時間まではなかったので、機内でそれを淡々と機械的に切っていく作業を続けた。中国かどこかの田舎の工場労働者のように僕はその作業をひたすら続けた。周囲の目は気にしていなかったが、明らかに変な人だったであろう。浴衣姿で謎のフライヤーを作成している男。淡々とした僅かながらの酔狂な行為のルーティーンに、その先にカオスへの糸を求めていたのだろうか。そんな作業を続けていたら、エアアジア便はバンコクへ着いた。

感じられないバンコクの顔

昼を少し過ぎた時間だったと思う。ドンムアン空港はスワンナプーム空港と比べると寂びていた。決して人が少ないわけではないが、古い粘着質な、ある意味においてアジアと呼べるような空気感があった。活気と寂れ。それが入り混じったような空間だった。

バンコク。その街には僕は何度も来たことがあった。東南アジア随一のハブ都市だ。日本から近隣国に向かうときはこの街を経由することが多い。何度もきた街では感動は薄れていく。薄れていく感動は感情の純化のせいなのか感情の鈍化のせいなのか分からないが、僕はバンコクに何かを感じ取ることがとても難しくなっていた。

街は近代化とともに自己主張をやめ個性を失っていく。数年前、既に近代化が進んでいたバンコクにもまだまだ個性はあったように思う。けたまましい音を立てて街を横切っていくトゥクトゥクはもうこの街ではほとんど見ない。いや、バンコクが個性を失ったのではなく、単に僕の感性が麻痺したのかもしれない。バンコクが変わってしまったのか、僕が変わってしまったのか、それは最後まで分からなかったが、結局のところ、僕がバンコクに何かを感じ取ることはできなかったという事実があった。

僕たちは旅の必需品である現地マネーやSIMカードの調達を行って、早々にパタヤに向けて出発することにした。ここには用事はない。電車かバスで長距離バスターミナルへ向かおうとした。しかし、調べてみたらちょうどいい方法がないことが判明した。

僕もクラトロさんも交通事情などはあまりちゃんと調べていなかった。クラトロさんの海外経験は有名だと思うので、僕があえて何かを言及するつもりはない。ただ、僕も海外の旅という意味では、それなりに経験を積んでいた。スマホの電波が通じれば何とでもなる。実際にそうだった。

僕たちは、いかにもアジアという弁当をコンビニで買い、ささっとそれを食べた後に、スマホでバスターミナルへの行き方を調べ、すぐにパタヤに向かうことにした。結局、タクシーが一番無難だろうという結論に帰着し、タクシー待ちの列に並ぶことにした。タクシー待ちは長い行列になっていたので、はたしていつタクシーに乗り込めるのか、いつパタヤに辿り着けるのか、少し不安になったが、それは杞憂だった。僕たちは順調にタクシーに乗り込み、颯爽とバスターミナルへと向かった。

タクシーでモーチットマイに乗り付ける。どうやら次のバスまでは約1時間くらいあるようだ。モーチットマイはただのバスターミナルだった。格別何があるというわけでもない。時間を持て余した僕たちは、カオスまでの前菜として軽く一杯やることにした。しかし、この日はタイの禁酒日だった。僕たちは日本の空港で調達した酒に現地のエナジードリンクを混ぜて、ささやかな乾杯をすることにした。バスターミナルのコンビニでローカルレッドブルのようなエナジードリンクを調達して、それと配合したドリンクを胃に流し込む。美味しくはない。そもそもこのエナジードリンクは何か全く分かっていなかった。ムエタイのポーズを取った男性が生き生きと描かれているこのドリンクには、明らかにエナジーを感じられなかった。禍々しいそのドリンクを片手に僕はタイという国の寛容さを感じ取ったのだった。

そんな風にして束の間の休息を取っていると、バスの出発時間が近づいてきた。僕たちはバスに乗り込むことにした。しかし、目的のバスがなかなかわからない。色んな人に何度も聞いてようやく乗るべきバスがどれであるか分かった。タイという国はある意味で外国人を許容する寛容な精神を持ち合わせているとともに、自力で努力しない外国人に対する厳しさも持ち合わせているのかもしれない。

バスに乗り込む直前、僕は不意にタイ人から好奇心に満ちた眼差しを向けられた。彼らが何に対して興味を持っているのか、僕は瞬間的に理解できなかった。外国人がそんなに珍しいのだろうか。いや、ここはバンコクのメジャーなバスターミナルだし、そんなことはないだろう。ほんの少し思考を巡らせてから、僕は自分がとても奇妙な衣装を身にまとっていたことをやっと認識した。日本出発、いや自宅を出たときから、僕は「Japanese Yukata」を身につけていたが、今の今まで、明示的な羨望或いは侮蔑の眼を向けられてきてはいなかった。だから、僕はしばしの間、自分の身なりが何であるかの認識を失っていたのであった。出発してから、黙次的な視線も含め何らかの視線は感じていた。ただ、女性に声かけをする際に周りから見られることをいちいち気にしないのと同じで、僕はそういう有象無象の視線をいちいち気にしないようになっていた。しかし、この旅で始めて、僕はある種の明示的な嘲笑の的になったようだ。そのことについて、感情としては特に何も覚えなかったが、冷静な分析としては、やっと浴衣というピーコックが機能したのかという実感があった。

バスに乗り込み、パタヤまで向かう。パタヤまでは2時間くらいかかっただろうか。道中、クラトロさんとは色々な話をしたが、女性の誘惑という観点ではほとんど話をしなかったように思う。おそらく、社会的な話やビジネスの話が多かった。

思うに、僕はこのとき自己開示を渋っていたのだと思う。それは昔からそうだったのかもしれない。実は、僕は女性を魅了するより、男性を魅了することの方が圧倒的に難しい。女性を誘惑する行為は日常的に行うことで、体が慣れてくる。女性のパーソナルゾーンに入り込むことも何となく身についてくる。しかしながら、僕は今まで男性のプレイヤーと合流したことはあまりなく、また、合流しても、結局は女性を誘惑する行為の相棒として活動するだけなので、それ以外の話をすることは少なかった。つまり、僕は男性との関係性を構築することは仕事上の利害関係を抜きにはあまり経験したことがないのだった。その意味では、クラトロさんは女性を魅了する能力以上に、男性も含めた人そのものを魅了する能力に長けていたと思う。もっとも、この時点では、彼の女性を魅了する能力はまだ見ていなかったのであるが。

後で詳しく書こうと思うが、この旅で一番学んだのは、他者との関係性を自然に築くことの重要性だ。それは女性を誘惑することにとらわれない、ある種の普遍的な技能である。そのような精神の重要性を認識できたことは大きな収穫であった。

パタヤへ向かう途中、風景が都市から田舎へと変わっていく。それ自体は何の変哲もないアジアの田舎の風景であった。少し街のようなところを通れば、路上には怪しげな屋台があるし、また、街と街を結ぶ軌道上には、何もなかった。正確に言えば、若干の生活感を感じる家屋と有り触れた自然があるだけだった。街は色々な要素から成り立つ。そこには、人の生活があり、文化や風俗があり、何らかの顔をそれぞれも持っている。高速で走る車内から見える風景は一瞬を切り取ったものに過ぎない。本来そこに存在するはずの数々の顔や物語は、車内からは捉えることは難しかった。僕はバンコクからパタヤへの道中では、ほんの少しの線上の風景しか感じ取ることができなかった。僕は、バンコクという点とパタヤという点にある線について特段の感慨を得ることもなければ、何かの失望を覚えることもなかった。ただ淡々と風景を観察しそれが記憶として刻まれただけであった。

2時間ほど走っただろうか、バスはパタヤ郊外のバスターミナルに着いた。パタヤは雨が降っていた。雨に包まれたパタヤの街は異国から来た旅人を歓迎しているように見えなかった。

※長いので一度ここで終わります。パタヤ到着後の物語は後ほど。

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