瞬間、身体、重ねて パタヤカオスツアー第弐話

次の日の昼頃に起きたときに、昨日の薄っすらとした記憶が蘇った。脱ぎ捨てられた浴衣に彼女の面影を見た気がした。「夢じゃ…なかったのか」、そう思いながら、僕は再び眠りについた。あとで振り返るとクライマックスとなった3日目の夜を目前にした日の出来事だった。

スポンサードリンク

バスターミナルから僕たちのベースとなる宿へは割と距離があった。 クラトロさんが「サティアン」と名付けたベースは、旅の間、僕たちの起点となった。

雨の中、バスターミナルからサティアンへはタクシーで向かう。

サティアンは多くのロッジが集まる1つの村のような形態の場所だった。現地の不動産業者が旅行者向け、多くは長期滞在者向けに大規模なコンドミニアムとして開発した場所のようだった。

振り返ってみると、今回の旅は、シンジさん、クラトロさんも含め、僕は参加者と時間を共にすることは少なかった。

多くの時間を一人で過ごし、一人で歌舞伎を演じていた。それは、奔放な自由人としての必然的な帰着だったのかもしれないし、青年の背伸びだったのかもしれない。

今振り返ると、このときは認められるような人間になろうと躍起になっていたのかもしれなかった。仕事においても、対女性においても、そして、このツアーにおいても。

とにかく、僕は日常の倦怠を脱出するために賭けをするために旅をしたのだった。

序盤、僕は、ナンパ界の有名プレイヤー2人に臆していたと思う。2日目。タガが外れてきた。僕を縛っていた何かがパタヤの闇に消えていき、僕は解き放たれた。緊張感がなくなるとともに脱力が生まれた。

そうして孤独な観察を経て、僕がパタヤに見出した結論めいた帰着は、「性と静」だった。

パタヤはバンコクからほど近い避暑地であり、とても静かであった。その一方で、別の側面として、歓楽街の要素もあり、それは、性の街であった。

静と性が混在するパタヤ。

ウォーキングストリートと名付けられた一つのストリートを除いては、僕はこの街にはエネルギーを感じなかった。

そして、そのストリートとさえも、なぜか偽りのエネルギーに満ちた街であるように思えた。

僕は、この静の街で性を重ねた。4日で3人の女性を抱いたのであった。

ひと時の刺激と快楽に身を委ねたのだと思う。

この4日間では、色々なことがあった。しかし、今でも鮮明に覚えている記憶が多い。

記憶は、体験の強度に比例する。この旅の密度はとても高かった。

これまで経験してきた、観光的な旅でも得られないのはもちろんのこと、バックパッカーとして放浪をした旅でも経験できないものがあった。

それは、カオスであり、歌舞伎であり、そして最終的には女であった。

現地の人との交流という意味においては、バックパッカーの時代でも多くを経験している。

しかし、身体を重ねるという極めて強度が高い身体的コミュニケーションを多く経験するは初めてであった。

最初は、この紀行文をきちんと整理した形で書き上げようと思った。しかし、どうしても筆が進まずに、早1年以上を経過してしまった。

感じたことの全ては書けないが、寝かせていた記憶と体験が色褪せないように、どうしても書いておかなければいけないことを書いてみる。

まずは主催者の2人である。僕は、この旅に出るまで所謂ナンパ師といった人と合流をしたことはほとんどなく、ほぼ全てが我流であった。そんな状態の僕が感じた2人の印象をここに記しておく。

公家と豪商

掴みどころがない。飄々としている。感度・感性が高い。

人の懐に入るのがすごくうまい。柔らかい。

状況把握能力が異常に高く、独特の観察眼から、瞬間を掴み取る能力が高い。

独特のリズムがから放たれる誘導がうまい。多分ものすごく頭がよくて博学。

時折見せるシリアスな表情も普段のウィットに富んだ表情も笑顔も、何というか1人の人間像としての完成度が高い。

それが公家さんだった。

一言で言うとパッションである。エネルギー量・熱量が半端なく高く、常に放出している。社会の全ての負のオーラをかき消すようなエネルギーを持っている陽気なお兄さん。それがクラトロさんだった。

総じて言えば、二人ともモテるであろうことが容易に分かった。

僕は、すぐに二人をリスペクトしていたが、全くその素振りを見せなかった。一端のプレイヤーであるという根拠がない自信を常に持っていた。それが余計な意地になってあまり感情を露わにできなかったのかもしれない。

ただ、僕は、二人から学ぶことが多いということは直感的に意識していた。そうして、できるだけ二人をトレースすることができればそれは実りになるのではないかと思っていた。

一端のプレイヤーとして参加している意識があった僕は、彼らに教えを請うことはなかった。少しだけプレイヤーとして相談はしたけど。今思えば、もう少し教えを請うてもよかったかもしれない。

感じた閃き

熱量が足りない。自分がわかってない。僕は、それを旅の最中にひしひしと感じた。

ただ、カオスを求めていた。

具体的に何がしたいか問われたとき、「ただカオスを求めて」と言いかけたが、その言葉は宙に浮いて出てこなかった。心情とは反対に自分の脳が即座に無意識に選択した言葉は「何でもいいですよ」だった。

緊張していた。カオスへの心の準備ができていなかった。考えもまとまっていなかった。

具体的に何がしたいのか戦略を描く余裕がなかった。時間的にも心理的にも。

僕は、走りながらあまり頭に頼らないように本能からくる情熱を頼りに選択した。

結果、それがいい面につながった側面もある。いつも戦略を描きすぎて、ルーティーンを考えすぎて意識しすぎる。

脱ナンパモードではないけど、2人を見ているととても自然体だった。

コミュニケーションがうまい。距離の詰め方がうまい。たぶん意識してやっているレベルではないだろう。体が覚えているのではないか。

例えば、シンジさんは老若男女声をかけていた。それは街を知るためのリサーチだったのかもしれないが、意識せずにただ異世界とのコミュニケーションを楽しんでいるように思えた。

僕も、元々旅人であり、街を感じたかった。旅とナンパには親和性がある。それは、ローカルへの関与が不可欠という面である。今までは街の雰囲気を肌で感じていたが、ローカルへの関与の度合いで大きく違ってくることを実感した。

最終日に、クラブに行ったときに、少しクラトロさんとサージングした。そのとき、ある種の心地よさを感じた。

僕は、今までコンビでアプローチすることはとにかくストレスを感じていた。コントールをしなければいけない変数が増えると考えていた。

しかし、このときは、無意識に感じていることが共通していた気がした。

もちろん何ら打ち合わせはしていない。自分は、圧倒的に総熱量が少なくて、普段はテンションが低い。ただ、楽しくなってくると、エネルギー量はかなり上がる。これは一時的なもので界王拳のようなものだが、本質的にはパーティーピープルであると思っている。ただ、それが発動するときは、自分の気分が乗っているときだけだ。

このときは、乗っていた。乗っている状態でクラトロさんと一緒に動いたことで、ある種の調和が生まれたのかもしれない。もちろん、彼が気を使ってこっちに合わせていた可能性はある。しかしながら、僕は今までかなりネガティブな感情を抱いていた、ウイングという存在の可能性を明確に感じることになった。

雑多ではあるが、感じたことを記してみた。

記憶をもう一度寝かせて、何か書けることがあれば、また書いてみよう。

それは、きっと将来につながると思うから。

物語タイの歴史―微笑みの国の真実 (中公新書 1913)

物語タイの歴史―微笑みの国の真実 (中公新書 1913)
スポンサードリンク

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク