言葉の感情

数年前。
2月下旬の寒さが落ち着いた金曜の夜を振り返ってみる。

世の中の恋愛プレイヤー達は今日も活動に勤しんでいるのだろうか。そりゃそうだろう。これだけの好条件なのだから。
そんな中、僕はというと、恵比寿の路地裏で一杯の珈琲を啜りながら、ただ文章を書いていた。

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昔から「書くこと」は苦手だった。自分の考えや感情を言語化することは苦痛に思えた。感性に訴えかける本をあまり読まなかったせいかもしれない。読む本といったら専らビジネス書をはじめとした実用書がメインだった(アイキャッチ画像のような本)。もっと小説とかを読めばよかったのかもしれない。

もちろん、仕事上の文章作成は得意だ。しかし、それは自分の考えや感情の表現ではない。あくまでビジネス上のドキュメントに過ぎない。そこに自分の「感情」は介在しない。読む人に訴えかけることも求められていない。求められているのは論理性が第一で、あとは若干の読みやすさがあればいいだけだ。

書くことについて、かなり前にイケダハヤト氏の「武器としての書く技術」を読んだ。正直イケハヤは好きではない。まず見た目が生理的に受け付けないし、ブログの内容も薄っぺらだ。それでも、ブログをメインに収入を得てそれで生活しているのだからたいしたもんだ。
この本では、ブログ記事の「書く技術」といったテクニカルな面は色々と教えてもらえたが、「言葉の感性」については何も教えてくれなかった。そういうものを期待して読むものではなかったのだ。

「言葉の感性」という意味では、好きな作家(ブロガー)は公家シンジさんだった。

元々は恋愛のテクニックを探していたときにたまたま見つけたブログだ。恋愛技術という面でも学びはとても多かったが、それより引き込まれたのは、文章力だ。彼の書く文章には「感性」があった。「表現」に対する「言葉の選び方」に敬意があった。
(残念ながら、今見たらサイトがなくなっている…。)

翻って自分の文章はどうか。特に昔の自分の記事を読み返すと、薄っぺらく大衆迎合的で何の個性も感じられないただのまとめサイトのようだ。何のポリシーも感じず、とても読んでいられなかった。

学びを深めよう。
そう思い、一冊の本を手に取っている。「沈黙のWEBライティング」。とても有名な本でだ。
ここに「感性」のヒントがあるように思えた。必殺技「エモーショナルライティング」。

なんだかんだ文章自体が無料とか有料とか以前の問題として、こういうところが大切なのではないかな。

結局、惹かれない文章は読まれない、のだよ。

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